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ルックオブサイレンス

ルックオブサイレンスを観た。

監督はジョシュア・オッペンハイマー。
 1965年に起こった9・30事件(インドネシア大虐殺)を当事者たちに語らせたドキュメンタリー「アクトオブキリング」の姉妹編。
9・30事件はスカルノ大統領(当時)の失脚を目的とした軍事クーデターと、スハルトによるクーデター首謀者と共産主義者への粛清である。粛清の実行部隊として市民団体やならず者が利用され、50万人以上が粛清の対象となった。

 「アクトオブキリング」では虐殺した側の人間に、虐殺した当時の様子を詳しく話をさせ、時には動きを混ぜて再現させている。彼らが嬉々として殺人を語る様子は、とても20世紀の市民を見ているようには思えない。僕はこの映画を観るまで、この大虐殺についてほとんど何も知らず、衝撃を受けた。

 「ルックオブサイレンス」は、眼鏡技師のアディの視点から描かれている。アディの兄は9・30事件で殺されている。当時、アディはまだ生まれておらず、兄のことは知らない。アディの父は自分の年齢を16才だと思いこんでいるくらいに認知症が進行している。母は当時のことを覚えているが悲しい思い出なので話したがらない。作中にも登場する叔父(母の兄)は捕らえた囚人たちの看守として、事件に加担している。

 アディは監督のジョシュアと兄を虐殺した加害者たちに会いに行く。眼鏡を作る為のレンズの調整という名目で、アディの兄のことは伝えていない。アディは眼鏡のレンズの調整をし、世間話を装いながら当時のことを語らせていく。加害者たちは前作同様に当時の様子を嬉々として語る。誰の体のどの部分をどう切りどう刺しどう殺したかを。 加害者たちは、自分たちの国を共産主義者たちから守ったと信じている。二人に自身の武勇伝を語る、その口ぶりからは誇らしさすら漂う。そして一通り彼らに語らせた後、アディは自身の兄が殺されたことを告げる。
 アディが告げると、加害者たちは今までの誇らしげな様子から一変する。その殺人は過去のこと、あまり覚えていない、知らなかった、仕方なかった、反省や後悔や慚愧の念に駆られているかの如く。それまで「死者に呪われないように殺した相手の血を飲んだ」と嬉しそうに言っていた加害者たちはアディに許しを乞う者がいる一方で、アディに対して厳しい言葉を放つ者もいるのだった。

またアディの息子の通う学校のシーンにおいて、殺されたのは悪い人間たちであるということを、教師が執拗に繰り返し教えていた。

事件後、大統領となったスハルトは1998年まで政権の座についていた。最終的にスハルトは失脚し辞任することになるが、彼の副大統領が政権を引き継いだように現在まで政治体制は大きく変わっていない。インドネシア国内では「9・30事件」ではなく「9・30運動」と呼ばれ、大虐殺は正当化されている。また被害者家族たちへインタビューすることが認められておらず、「アクト〜」は加害者に語らせるという特殊な形式の映画になったとのことだ。結果、映画としては、その特殊な形式が極めて効果的だった。

 本作によって、知らなかった事件を知ることができた。アディは作中で「復讐したい訳じゃない、事実を知りたいんだ」と言う。過去を検証し、清算することはもはやできないだろうが、その上でインドネシアはどのように進むのだろうか。自国民の虐殺を正当化した国家体制にどれほどの正当性があるのだろうか。
他にも様々感想が浮かぶが、この圧倒的な事実の前には、どれも陳腐だと感じた。

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