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論文を書くためのまとめ

読書会を行っている友人たちと同人誌的な何かを作ることになった。テーマは定まっておらず期限は来年の3月くらいという自由度が高い。長い文書を書いた経験は卒業論文くらいで、卒業論文は明快に型が決まっていたから、自身に書ききれるのか分からない。一方で未踏の地へ足を踏み入れる感じで、わくわくもしている。何を書こうかと2週間ほど考えた結果、2010年に訪れた東欧旅行について書くというところまでテーマを絞った。

その旅行の1つの目的としてはアウシュビッツ強制収容所へ訪れるというものだった。当時ナチスドイツがヨーロッパ全体を支配していた時代、アウシュビッツにはヨーロッパ各地からユダヤ人たちを送っていた。ユダヤ人たちはナチス・ドイツの登場以前から迫害の対象だった。
アウシュビッツはそこに訪れるだけで意味のある場所なんだろう。鉄条網で仕切った広大な敷地にレンガ作りの見た目がきれいな、建物が立っている。アウシュビッツだと知っていなかったら、明るい色のれんがのきれいで味わい深い建物であるには違いなく、我が母校の建物とも重ねられる。とは言え、アウシュビッツは教科書やその他資料でその存在を覚えているから、そのきれいな建物は返って不気味な雰囲気を醸し出している。そして、端までは見えないほどの広大な敷地。ユダヤ人を迫害してきたヨーロッパ全体の歴史とそれを煽ることで勢力を増してきたナチス・ドイツがその労力の限りを尽くしたと考えると、なぜそこまで力を注いだのかという疑問が湧く。

もう1つの目的としては東欧革命のその後を見に行くということだ。ソ連共産党からの独立。チェコのプラハ、ドイツのドレスデン、ベルリン、ポーランドのワルシャワ。
チェコの歴史について今調べていて、ハヴェルの「力なき者たちの力」を買おうとしているところだ。ハヴェルは戯曲家で共産党支配下に置かれたプラハで地下活動を行い、チェコ独立の際に大統領になった。その地下活動時代に地下出版された著作が「力なき者たちの力」である。

東欧革命は、ソ連でゴルバチョフがペレストロイカを始めたことがきっかけとなる。ハンガリーがオーストリアにビザなしで出国できるようになり、東側の国民が西側の国に行くことに歯止めがなくなった。そしてベルリンの壁が崩壊するのだ。ベルリンの壁の崩壊も東ドイツの首脳部の連絡ミスが原因でビザなし出国開始を放送してしまい、収集がつかなくなったというドラマのような面白い話もある。

まだ下調べの段階で、何をどのように書くかは決めていないが、面白い事実は山のようにでてくる。調べれば調べるほどわくわくしている。

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