苦手な人がいる。
「にんげんだもの」に終着しそうな言葉から始まったが、事実僕には苦手な人がいる。嫌いというほど積極的に憎んでいるわけでもなく、ただ苦手なのだ。
想像してほしい。ここに大きな鏡がある。その鏡は自分の嫌な部分が鮮明に映し出されるのだ。自分が人よりも劣っていると思っている部分、自分が嫌いだからなんとか治そうとしている部分。
その部分は社会的に見せられないから自分の中で押し殺して隠しているが、確かに自分の中にある。差別意識や暴力衝動、願望。恥ずべき感情。
それが映るのだ。もう十分に分かっているからその鏡をどけてほしいと思っても、決して動かない。自分の嫌な部分を見て耐える時間がずっと続く。
話が抽象的になってしまったが、その人を見るといつもそんな思いにかられている。自分の嫌な部分を否定し矯正することで、僕はある程度の成長をし社会に適応しようとしてきた。しかし昨日、その人からLINEのグループチャットに連絡が入って以来、僕の心はざわついている。
通知の画面で内容は少し読んだが、LINE上では未読のままにしている。細かい内容はここに記載しないが何やらうまくいっているらしい。報告のメッセージだった。それに対してグループの人たちが称賛のメッセージを送っている。僕はそれに嫉妬している。嫉妬しているが、嫉妬なんてしていないふりを全力でする。そういうふりをすることがしんどくなって、数年前から僕はLINEを未読にするようになったのだった。辛くないふりをすることと他人の詮索をこれまでの人間関係と天秤にかけた。僕は次々に人間関係を切っていく方を選んでいった。それが楽だった。気づけば、僕の周りには片手で数えられる程の人間関係しか残っていなかった。
彼のことに戻る。彼のことで忘れられない出来事がある。10年ほど前に僕の家で飲み会を開いた際に、彼が時間通りに来られず遅れてきた。その飲み会では数人の誕生日を祝う目的もあり、彼も誕生日が近く祝われる予定だったが、かなりの遅刻だったので、集まった人たちはほとんど帰っていた。僕ともう一人は彼が遅れてでも来ることを知り、彼の来るのを待っていた。彼は来るなりほとんど人がいないことに(僕たち二人しか残っていないことに)不快な表情をし落胆していた。僕たちは、用意してあった皆からのプレゼントと残してあったケーキを差し出した。彼は迷惑そうにケーキを口に詰め込み、用意してあったプレゼントをひったくるようにして受け取り、「ありがとうございました」と吐き捨てるように言って帰っていった。彼の滞在は到着してから5分にも満たなかった。僕たち二人は彼が帰っていったあとに残されて、片付けをした。二人ともに彼に対して憤慨していた。
彼としてはせっかく来たのに、たった二人しか待っていなかったことが嫌だったのだろう。しかし僕たちとしては遅刻したのは彼であり、他の人たちの都合は変えられない。遅刻してでも彼が来ると言うから待って祝ってあげようと思っていたのに露骨に嫌な顔をしたのだ。僕たちの好意に対して、彼は形だけでも喜んだその場を過ごすということもできたはずだ。そうしなかったのは彼にも何か事情があったのかもしれないが、僕たちとしては嫌な気持ちが残った。
あの時彼に対して不快な感情を持ってしまい、それが決定的となって僕の頭の奥に残っている。ただの一度の些細な失礼な男の小さな出来事なのかもしれないが、拭い去ることはできていない。
おそらく彼は覚えていないだろう。僕も蒸し返してまで思い出させたいことでもない。しかし許す気にはなれていない。許さないままに蓋をして、あの出来事は終わってしまったのだ。不快な感情はそのまま僕の中に保存されている。
かくして些細な失礼な男の出来事は、そんなことすら許すこともできないのかと僕の自意識が責める格好の材料になっている。
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